緑の子

 

たねが落ちている。
大きくなく、小さくもなく、焦げ茶色で土が大好き。
そんな顔をして落ちている。
それを拾い上げるも、蹴っ飛ばすも、無視するも、そこに埋めるもきみ次第。
拾い上げて机の引き出しに大事にしまい込んでおいてもいいし、
蹴っ飛ばされて転がっていって大通りでトラックに潰されるのを眺めていてもいい。
いずれにせよ、きみはたねを見つけてしまった。
他に誰も居ない、雨上がりの公園で、何気なく出会ってしまった。
だから。

 

 

ビール。と。

 


飲み会は、銭湯だ。
裸の付き合いをしようと意気込み、どっぷりと浸かったり。
ついついとなりの人と我慢比べが始まったり。
黙々とこなす時間も、どこか、救われたような感覚。
人が多いとしんどくて、ひとりぼっちはせつなくて。
がんばって隠そうとしている人もいれば、堂々とさらけ出している人もいて。
からだに息づいた暮らしが、温もりの中に集まってくる。
いつもがいつも楽しいとは限らなくても、その場所はぼくらの営みの証だ。
残念ながら、ふところは温まらないけれど。

 

 

交差

 

 

赤信号を見ている時間というのは、人生の中にどれくらいあるのだろう。
青信号を見つめながら歩く人は少ないだろうけど、
赤信号をぼんやりと見つめながら待つ人は、きっとそれなりにいる。
その時間は、考え事をするには短すぎるけど、物思いにふけるにはちょうどいいのだ。
超特急で変わっていく世界のなかで、待つことはおくびょうだと言われてしまう。
嵐の中を進み続ける力が足りず、倒れ込んでしまうこともある。
そうした後ろ向きな自分を肯定できる瞬間が、いつかあなたに訪れますように。
そう願って一緒に立ち止まってくれる人が、いつかあなたの隣に現れますように。
信号が、変わる。